八千草薫の夫は誰?子供はいた?性格キツイの?宝塚時代がかわいい!

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女優の八千草薫さんの旦那さんや子供はいたのかについて調査していきます。

また、その他彼女について噂されていることについてもまとめてみました。

一体どんな八千草さんの人物像が浮かび上がってくるでしょうか?

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八千草薫のプロフィール

まずは八千草薫さんのプロフィールからみていきましょう。

本名:谷口瞳
生年月日:1931年1月6日
出身地:大阪府
身長:154cm
職業:女優
活動期間:1947年~
事務所:柊企画

戦争中の日本に生まれ、自宅が空襲で焼けてしまったり、幼い頃に父を病気で無くしてしまったりと、厳しい環境で育ちました。

戦後の1947年に宝塚歌劇団に入団し、舞台女優として経験を積んでいきます。

その後は映画やドラマでも知名度を上げていきます。

なかでも「岸辺のアルバム」「阿修羅のごとく」ではテレビ大賞主演女優賞やアカデミー優秀助演女優賞を受賞するなど、演技派女優として現在も活躍されています。

結婚した夫は谷口千吉。

八千草薫さんに現在旦那さんはいらっしゃるのかどうか調べてみたところ、彼女は1957年に映画監督の谷口千吉さんと結婚されていたことが分かりました。

谷口千吉のプロフィール

こちらは谷口千吉さんのプロフィールです。

生年月日:1912年2月19日
死没:2007年10月29日

出身地:東京都
職業:映画監督

戦後の日本を代表する映画監督の一人として知られています。

あの、「世界のクロサワ」こと黒澤明さんや、ゴジラ一作目の監督・本多猪四郎さんとは親友同士だったそうです。

代表作としては「銀嶺の果て」「アサンテ サーナ」などが知られており、高い評価を受けていますが、その一方で、監督した映画作品があまり多くない事も知られています。

2007年に、肺がんの為95歳で亡くなられています。

かなり長生きされたみたいですね。

2人の馴れ初めについて

八千草薫さんと谷口千吉さんの馴れ初めはどんな感じだったのでしょうか?

女優と映画監督なので大体想像はつきますが、調べてみました!

二人は、1956年、映画乱菊物語一緒に仕事をされたことがきっかけで知り合われたそうです。

当初、この結婚は八千草さんと谷口監督が親子ほど年が離れていたことと、谷口監督が3度目の結婚だったことで、特に八千草さんのお母さんは結婚に猛反対されたそうですが、そんな周囲の不安をよそに、お二人はおしどり夫婦と呼ばれるほど仲が良かったのだとか。

谷口さん、2回も離婚歴があったんですね~、そりゃお母さんも不安になって当然ですね。また、結婚された当時、谷口さんは八千草さんよりも19歳年上だったようですが、個人的に年齢差はあまり問題ではない気がしますね。

ですが、お二人の仲は本当に良かったみたいで、谷口さんは68歳の時に車の免許を取って、八千草さんを車で送り迎えしてあげるなど、とても妻の事を想っていたみたいですね。

2度の離婚を経験された谷口さんが、亡くなられるまでの50年間おしどり夫婦で居続けられたということなので、運命の相手だったんでしょうね!

子供はいた?

八千草さんと谷口さんに子供はいたのかについてですが、どうやらお子さんはいなかったようですよ。

お互い忙しいお仕事をされていますから、それどころではなかったのかもしれませんね。

また、谷口さんが亡くなるまで夫婦円満でいられたのは、もしかしたら子供がいなかったというのも理由かもしれません。

子供はいたらいたで可愛い物だと思いますが、夫婦間の愛情が薄れるといった話もよく聞きますしね。

略奪婚だったの!?

さて、八千草さんと谷口さんの結婚は、谷口さんにとっては3度目の結婚(再婚)ということですが、なんと略奪婚だったという情報があります。

谷口さんの2人目の妻は、女優の若山セツ子さんでした。

この結婚が略奪婚と噂されています。

谷口千吉さんは女優の若山セツ子さんと結婚していましたが、1956年に離婚しています。

離婚させたのが、八千草薫さんだと言われています。

谷口千吉さんが離婚して、再婚するまでの期間が短いのが大きな理由のようです。

本当に略奪婚だったという証拠はありませんが、離婚から再婚までの期間が短いのであれば、十中八九略奪でしょうね。

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また、当時この略奪婚の話が広まってしまったためか、谷口さんは、八千草さんと再婚した1957年からの3年間、全く仕事を貰えなかったことからも、略奪婚である事はまず間違いないでしょう。

八千草さんは当時、「嫁にしたい女優」として名前を知られていたそうですが、まさか略奪婚なんてドロドロしたものに手を染めていたとは…。

ちょっとショックですね。

八千草薫は性格がキツイ?

八千草薫さんについて、ネットで検索すると、「性格キツイ」という噂があるようです。

現在は優しそうなおばあちゃんって印象なんですが、意外ですね。

八千草さんの性格がキツイと言われている理由について調べてみたところ、いくつかのエピソードが見つかりました。

その一つが、彼女の仕事に対する厳しいまでの真剣な姿勢です。

八千草薫さんが1975年に放送された人気ドラマ「赤い疑惑」に出演していた時、主演の山口百恵さんのスケジュールがが詰まっていて、断片的に細かくしか撮影で出来なかったことに納得できず、八千草薫さんは6話で降板してしまいました。

「赤い疑惑」は全29話ですから、最初の頃に降板したようです。

ただこれは、山口百恵さんのスケジュールがなく、山口さんの背中だけのシーンで代役を相手に演技させられたことなどに、八千草薫さんが納得できなかったとの話です。

まあでも、映画の撮影って、宝塚などの舞台とは違って、仕事は一度で終わるものではありませんし、そもそも女優としての仕事は事務所の下で働いている従業員のようなものですからね。

納得できないような事も多々あるかと思います。

八千草さんは、そういった面で、仕事に対して人一倍こだわりや情熱が強かったのかもしれませんが、これが「性格キツイ」と言われている原因の一つでしょう。

そして、性格がキツイと言われる理由としてもう一つのエピソードを見つけました。

こっちは正直のところ、かなりドン引きな話です^^;

先程、彼女の略奪婚の話をしましたが、その時に夫の谷口さんを略奪されてしまった若山セツ子さんの話です。

若山セツ子さんは、谷口さんと1956年に離婚した後、不幸な出来事が立て続けに起こります。

愛する旦那さんを奪われてしまったためか、病気になってしまい、それを理由に1961年に女優業を引退されます。

病気の詳細についてはよくわかりませんが、当時彼女の奇行が目立ったということから、精神病の一種ではないかと思います。

そして1984年に母が亡くなったことによりさらに精神を病みます。

母が亡くなった後、若山さんは精神病院で暮らすことになるのですが、1985年、彼女は首つり自殺によって、55歳という若さでこの世を去ります。

精神的な負担から来るストレスのせいか、亡くなった時の彼女は80代のおばあさんと勘違いしてしまうような容貌だったようです。

かなり不幸な結末になってしまったようで、胸が痛みます。

で、この話と八千草さんの性格についての話がどう関係してくるのかというと、若山さんが亡くなられた時、なんと八千草さんが、

「身から出た錆ね」

と発言したという噂があります。

これ…、本当の話なら流石にドン引きですわ…。

彼女の精神がおかしくなったのは、八千草さんの略奪が原因だったかもしれないのに。

ただ、このセリフがどこから出てきたものなのか、本当に八千草さんがこの発言をしたのかの証拠はありません。

しかし、過去の彼女の発言やエピソードなどから考えると、こういった発言をする可能性が十分考えられるのが怖いですね。

私としては、八千草さんのこの発言はデマだという事を願います…笑。

宝塚時代・若い頃がかわいい!

八千草薫さんは、2018年現在の年齢は87歳で、御覧のようなおばあちゃんになっています。

しかし、彼女は若い頃は宝塚歌劇団でも活動されていた美人女優でした。

現在でも十分若々しくてきれいだと思いますが、若い頃はそれはそれは綺麗でかわいかったそうです。

というわけで、八千草さんの宝塚時代の写真を見ていきましょう。

これはすごいお綺麗です!

宝塚女優特有のメイクの為、実際よりもきつめの表情になっていますが、歴代宝塚女優の中でも上位に入る美人だと思います。

因みにこちらが宝塚でのメイクをしていない時の彼女です。

おお、清純派女優って感じで、かわいいですね!

確かに、「嫁にしたい有名人」で頻繁に名前が挙がるのも分かります。

「略奪婚」の事実さえ知らなければ…苦笑。

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